オールオアナッシング
今日は映画を見てきました。
普通に面白くて、普通に綺麗にまとめていて、普通にエンタメしてるスリラーだったのですが、いかんせんパンチが無さすぎて満足できず、僕はえぐい駄作かエグい傑作以外には心動かない、劇物で舌が肥えてしまった人間なのだと思いました。
映画よりも、映画前に予告CMしていた湊かなえの母性の方が記憶に残っているくらいです。
あれは叙述トリックを使ったミステリーなのでしょうか。CMで既に親子の視点が異なることを明かし、セリフ上では自殺した娘の死体を惜しみ愛しそうに抱きしめているものの、精一杯抱きしめたといいつつ首を絞めているのは、番宣状のミスリードなのか、ウケ狙いのばりばりのネタバレやのか、見に行って確かめるしかありませんね。
全てのゴタゴタが終わり、前に進まなくてはいけない時なのですが、長い休みをもらいながらも私は未だに生きる目的を見つけられないままでいます。
何かを憎み、何かの解決を待っていた時の方がよっぽど生きる動機に満たされていました。
今の私には、生に執着するほどのしたいことも、別れを惜しむほど離れたくない人間もおりません。
誤解なきよう正確に表すと、私にとって死とは生を手放す事であって、選ぶものではなく生から離れる事で自動的に遷移するものなのです。
したい事はまだまだあるし、大好きな人も沢山いますが、私の退廃的な思考において、それらの貴重な人生の宝物は、そんな諦観した死生観を歪めるほどの力はないのです。
それに、価値観を変えるほどの事柄といえば聞こえは良いですが、別れを惜しむほどに没頭する事や相手というのは、正常な判断ができないほどに依存しているのではないか?と思わなくもなかったり。
それが出来なくても、それはその時の星が悪かった。
どれだけ大好きでもいつか別れることになる。
そんな空虚な思考を後生大事に抱え込んで、辛苦は自己責任なので何もしないのが一番平穏だとか甘ったれているところを変えないと、きっと生きたいと思えないのだと、ぼんやり考えてました。
というか普通の人は、生も死もただあるがままを受け入れ、それらに価値を見出す事なく無思考で、欲求が命令するままに消費的に人生の時間を謳歌しているのだから、私もグダグダ言わないで水の流れに従って適当に時間を過ごすべきなのかもしれませんね。
愛がない人間は、ただの日常生活を送るのも困難なのだと、学ぶ気がなかっただけのくせに他人のせいにしながら、夜が更けていきます。
そのうちまた心の整理ができたら、何か書きますね。
おやすみなさい。