遠回りする順番

愚かなゲイのメモ帳

エンドレスサマーseason2

心身の整理のためにブログを細々と書いていましたが、過去の記事を消去しなくてはいけない事態になりましたので泣く泣く削除することに。

ちなみに良い意味での消去ですので、わかる人は察してください。

 

今日は運勢について考えていました。

私は危険な豪運を持っていて、その運は、慢性的に不運な代わりにここぞという時に大きな結果を得る、といった特性を持っています。

四半世紀ちょい生きていて、生まれや生活、仕事、友人に悩まされることは多いものの、その悩んだストレス値分は何かしらの幸運によって還元されてきました。

まあ欲のない人間なので、なんかたまたまガチャを引いたら排出率上振れしたとか、チョコボールで金のエンゼルが出たとか、そう言ったささやかな幸運の連続や、泣き寝入りすることになっていたであろう不法侵入を逮捕することができた程度の復讐の精度の運など、私自身の成長には全く関係ない運ばかりで、散々な目に合う割に人間的に成長しているわけでもない、ただの不憫な人としての生を謳歌しております。

 

今回はそんな私の運によって地獄のような目に遭った話をいたします。

 

良い友人を得られる運と、悪い友人への復讐を成功させられる運は、果たして両方とも同じ幸運と言えるのでしょうか。

7年前、親から逃げるために新天地を求め、逃亡した先できた友人・K(当時33歳)は、一見すればとても良い友人でした。

カメラに映りたがからないことを除けば、付き合いも良く、お金にだらしない面もなく、引っ越して初めてのMtG仲間というのもあって、こんなに良い友人が出来るなんてやっぱり運がいいな、今までの不運の負債分将来はあかるいな、と思っておりました。

哀れ、そんな当時の姿を想像すると慙愧に堪えません。

 

彼もまた家庭に問題を抱えている人物で、実家に居たくないという気持ちに対する理解が深いのもあって、平日休日問わず、彼の余暇時間の大概はうちで過ごすことに充てられておりました。

まあ、彼もまた黒の企業の構成員でしたので休日は少なく、週1〜2日会う程度の頻度でしたが、友人の少ない私はそれほどの頻度で会う人間に簡単に気を許してしまうほどに警戒心がちょろすぎる生き物でした。

彼と出会って3年は健全な友人関係でしたが、私の隙だらけな姿を見て魔が差したのでしょうか、事件は起きました。

 

4年前…彼と出会ってから3年が経った夏、最近物がなくなるなあ、知らん靴下が洗濯カゴに入っているなあ、常備しているアイスの消費が早いなあ、電気代が1.5倍になっているなあ、そんな怪奇現象に悩まされておりました。

私は楽観主義者なので、両隣事故物件だし悪戯好きの幽霊でも住んでいるのかな、と不似合いな長睫毛を瞬かせて、彼にその事件について話しておりましたが、彼はその話を聞いて何を思っていたのでしょうか。

消息が分からない今、確かめる術はありません。

 

豪雨の降ったとある日の翌日、Kはいつものように「昼からMtGをして遊びたい」とのことだったので家を掃除をしていると、明らかに私のものではない(私は肥満体型なので絶対に着ることのないサイズの)びしょ濡れのYシャツが洗濯カゴに入っていました。

考えるまでもなく、昨日Kが家に不法侵入して置いていったであろう衣類でした。

それ以外だったらもっと恐怖ですが。

 

最近の怪奇現象に合点の入った私はKから情報を引き出すべく、彼が来ていつものようにMtGの対戦を始め、私が打ったインスタント呪文をどうするか長考している所に問いかけました。

「これ、Kさんの?」

「ああ、こないだ忘れてったやつかな」

Kは何もやましいことはないと言った所作で嘯きながらシャツを受け取りますが、手にした時それが濡れていることに気がつきました。

間髪入れずに、「昨日ウチにいたの?」と平静然として訊ねると、合理的な回答を思考する猶予がなく仕方なくといった様相で、Kは「昨日居るかと思って夜に遊びに行ったら、扉の鍵が開いていたから危ないと思って朝までいた」と振り絞るように言葉を紡いでおりました。

これが正当な手続きのもと実行されていたのであれば、たとえ嘘でも信じていたでしょう。

他に不法侵入者がいて鍵を開けっぱなしにして外へ出ていったと、素直に鵜呑みにして鍵を交換するなどで済ませていたと思います。

しかし、私は朝、鍵を開けて家に入りました。

ということは鍵を閉めることができる人物が夜間にウチの中にいて、私が夜勤から帰ってくる前に出て行って施錠したことは明白なのです。

居たことを認めている以上、怪奇現象の犯人はKしかありえませんでした。

(まあそもそも、窃盗されている物が持て余しているMtGの高額レアカードばかりで、無くなっていることに気づかまいと僕の行動を予測した上での犯行だったので、Kのことを怪しんで常に警戒をしておりましたが、家に遊びに来ている時にトイレに行った隙に盗むとかでなく、まさか私が夜勤に行っている間にウチに不法侵入して悠々自適にカードを見定めて売却していたとは、流石に推理できませんでした)

 

犯人がわかった上での私の行動は「二度としなければ許す」でした。

とても愚かな選択です。

世間知らずでお間抜けな私は、流石に犯罪行為が露見したのだから二度目はしないだろうと、彼の知能を信頼しておりました。

H大のサークルで多くの友人と出会い、多くのことに悩み、H大卒後にH大研究室に入り、あまりの忙しさと相性の良くない同僚や教授からのパワハラに心を病んでドロップアウトした、傷つけられる人の気持ちもわかるに違いない彼の賢さに。

私はすぐに後悔することになります。

世の中には死ななければ人生万事OKという無敵の人種が存在し、彼は福祉による庇護が必要な人物で、実家暮らしのストレスから正しい判断をし続けられるほど余裕はない、危うい状態であったということから目を逸らしていたことに。

不安感を取り除くように、身を削ってまで人に学ぶ機会を与えてあげた、彼が更生するなら私はいくら傷ついても良い、と目先の甘ったるい腐りきった偽善で解決に納得をし、人を無意識に見下して満足し親友ヅラをしているその姿を道化師と言わずして、なんだというのでしょう。

許す人が聖人なのではなく、たとえ対立しようがそれでも導こうとする人が聖人なのだと、今では思います。

 

この後に発生する事態は、考えた結論の上での慈悲ではなく、ただ自分が他人に悪感情を向けたくないための何も考えていない慈悲、すなわち愚かな選択に対する因果の応酬ともいえるかもしれません。

私の豪運は、私が不幸になることが大前提なのでした。

 

続きはそのうち書こうと思います。

次回後半で書き終える予定です。

現実にあったことですので、ただありのままを書くだけで終わりますので、長くなるわけもなく。

なんなら、得た教訓だけでいえば3行で終わりますし。

 

・カメラに映りたがらない人とは友達になるな。

・犯罪は許す許さないじゃない、逮捕して和解交渉するか裁判するか。

・人を個人として尊重するということは、その人に肩入れしないということ。

 

人生三週目くらいの気分ですが、3〜4年ごとに訪れる大きな不幸の令和4年度分は漸く解決の見通しがつきそうなので、次の大きな不幸までの間に目一杯幸せになろうと思います。

とりあえず一度は関東に帰省してみてもいいのかもな、とか思っています。

 

それではおやすみなさい。